最近、BlueskyではなぜActivityPubを採用しなかったのか、という理由について、よく整理された記事を見掛けました:
この記事は良く書かれていて、現状を正確に捉えている良い記事だ、とは思ったのですが、 そもそもの話として ActivityPubやAT Protocolを語る前に、考えるべきことがあるのではないか? と感じましたので、 今日はその話を書きたいと思います。
そもそも現状のSNSは何が問題なのか
このことについて私見を述べるならば、今のSNSが抱える最大の問題は、 ごく単純に「人間が腐る」 という所にあると考えています。
そもそもSNSに入った人間は、よほど気を付けていない限り、下記の流れで人間として腐って行きます:
- 自身にとって聴き心地のよい意見・言論に身を浸して極端な方向に傾く
- 極端に傾いたまま自身に取って聴き心地の良い言葉・言論を拡散する
- その結果としてより過激化する意見・言論へ浸っていき、人道を見失う
この結果として、人間を腐らせたまま他人へ誹謗中傷や罵詈雑言をぶつけ、 挙句、特定の属性や事柄を持つ人々への増悪を煽り立て襲撃する。
昨今のSNSが抱える問題は、正にこの点にあります。
こう言った意味合いで今のXの在り方は、効率よく人間を腐らせ、Xへさらに依存させることによって収益を上げる、 という構造を持っている印象ですが、この問題は別にXだけの問題ではありません。
例えばYouTubeやTikTokなどでも、他人への増悪を煽動する動画がレコメンドエンジンによって提起され続けたら同じことが起きますし、 例えばこのブログのサービス提供元である「はてな」においても、「はてなブックマーク」で同じ事が起きてしまえば「人間を腐らせる」装置足りえます。
そしてこの「人間が腐る」と言う問題は、別にリコメンドエンジンが無かった程度で解決する問題ではありません。
今のXを含むリコメンドエンジンによる「人間を腐らせる」仕組みは、あくまで「人が腐る」ことを加速させているだけであって、 「同質性のある人間が集って盛り上がり、より過激化する」という流れ自体は、別にリコメンドエンジンが無くとも成立するからです。
過去に私が目撃した例では、Twitter出現以前の2chのスレッドでも、内輪で盛り上がった挙句他人への誹謗中傷に明け暮れる、 といった事がありましたし、それ以前のインターネットにおいても「他人との交流」が行われている場では同じことが起きていたでしょう。
また昨今の情勢では、Xの惨状からBlueskyやMastodon系、あるいはMisskey系インスタンスへ人が流れる傾向もあります。 しかし私個人の実感としては、例えMastodon系インスタンスといった連合系SNSであっても「人間が腐る」という問題は解決できていません。
と言うのもSNSで「人間が腐る」という結果は、同質性の高い人々が同じ場に集い、良くない方向で盛り上った結果、有害な形で結束する、 という機序で起きていますから、「自分にとって都合の良い『意見』」でタイムラインを塗り固める ことが出来れば、結果として同じことが起きます。
そうである以上、連合系インスタンスやBlueskyでも同じことで、結局のところ「人を腐らせる」方向性の行動を「人間が」取っている以上、 SNSとしての機能・構成を多少変更したところで、この解決策にはなり得ない。
私はそのように捉えています。
SNSで「人間を腐らせない」ために何が出来るか
まず最も大切なことは、明確なコミュニティガイドラインを設定し、これを遵守させることです。
これは例えば、ある連合系インスタンスでは特定の話題のみを扱う、という事をルールとして制定し、 そこから外れる言論は禁止・警告事項とすることや、攻撃的な発言は内容の可否を問わず制裁の対象とする。
そう言った「ルールから外れることは明確に禁じられる」という態度を毅然として示すことが重要だと考えています。
次に行なった方が良いことは「コミュニティとしての規模を小さく保つ」ことです。
これはいわゆる「ダンバー数」とも関連しそうな議題だと思うのですが、 集団としての規模が大きくなれば成るほど、その集団は制御不能になっていきます。
そうなれば必然、利用者に不自由を強いる「ルール」は増えていきますが、 「集団としての規模」を小さく保つのであれば、不自由を無理強いする必要はなくなります。
また小さなコミュニティに留めておくのであれば、コミュニティを支える「コンテンツモデレーション」への負荷は減りますし、 そのことはコミュニティの安定性をより向上させることへと繋がるでしょう。
最後に、システムとして「人間が腐る」ことを防ぐのであれば、情報の再拡散機能を排除することが重要だと考えられます。
例えばSNSでの炎上において、リポストなどの再拡散システムは炎上をより大きくすることへ加担しますが、 こう言った事を根本から防ぎたいのなら、そのような機能は無い方が良いです。
またSNSでの行動を「他人との直接的な交流」に定めるのであれば、相手への返信機能さえあれば良いのですから、 別にリポストのような情報の再拡散機能はなくとも構いません。
そもそも最初期のTwitterではリツイートと言う機能自体が無かったですし、 その状況下でもコミュニケーションは成立していたのですから、リポストの類いがないとSNSが機能しない、なんて話はありません。
そう考えると「人間を腐らせる」ということや「炎上によって非道な目に合う」と言うことを防ぎたいのであれば、 リポストの類いは排除しても構わない、と私は考えています。
分散したSNSで「誹謗中傷」が起きたらどうするつもりなのか
このエントリで最初に取り上げたブログ記事の指摘の通り、
ActivityPubは「分散型」SNSのプロトコルとして効率が悪い
と言う事は確かです。
実際、ActivityPubのプロトコルが行なっている事は技術的な文脈で言えばREST APIを相互に叩き合っているだけですし、 そのプロトコルの解釈もゆるふわで、実装によっては互換性が無い、という事がザラにあります。
しかし一点注意としては、ActivityPubを実装した連合系SNSはあくまで「連合(Federation)」が行なえるようになったソフトウェア群であって、 完全に「非中央集権化(Decentralized)」されたソフトウェア群ではありません。
現実として、ActivityPubを実装したソフトウェア群はActivityPubを通じて「相互運用」が出来るようになってはいますが、 実際のところアカウント周りやコンテンツモデレーションなどは「中央集権的」な文脈から脱せてはいませんし、 恐らくそこは今後も変えられません。
またそう言った意味では「分散SNS」のプロトコルとしてはAT Protocolの方が優れているのかもしれませんが、 今の私はAT Protocolについてほぼ把握していないので、その点については良く分かっていないことが現状です。
ただ「連合系」や「分散系」のどちらであっても、この記事の問題提起である「人間が腐る」問題への対処にはなっておらず、 むしろ連合系や分散系のSNSであること自体が、SNSに居る輩たちからの個人攻撃への対処をより困難にするという問題すらあります。
まず「人間が腐った」ことで起きる問題の一つに、誹謗中傷や罵詈雑言、個人攻撃などがありますが、 これが「連合」によって分散された各インスタンスから行われていた場合、情報開示請求などは、それぞれのインスタンスへ個別に行う必要が出てきます。
そうなると「中央集権的SNS」では一ヶ所へ送れば問題なかった情報開示請求を何ヶ所へも送る必要が出るため、 この点で被害の救済はより遠退く可能性が高いです。
問題はこれだけに留まらず、仮にインスタンスの所有者が自身のアカウントから積極的に誹謗中傷を行っていた場合、 いくら情報開示請求を行なったとしても、まともに応じないことが起こるでしょう。 そう考えると、中央集権的なSNSよりも分散的なSNSの方が悪事を働きやすい、とも言えます。
またこれが一定の集団に対する増悪煽動(ヘイトスピーチ)の拡散であった場合、 「まともな」インスタンス管理者は問題あるインスタンスからの通信をブロックするなどの手段は取れますが、 一度広まった煽動は消せませんし、事の元凶がインスタンス管理者であれば、どうにもなりません。
この点について、AT Protocol側で対策されているのかどうかが分からないのでなんとも言えませんが、 この手のコンテンツモデレーションについても、プロトコルレベルで対応していなければ、同じ問題が起きるでしょう。
また仮にAT Protocolではコンテンツモデレーションも分散して行える、と言った場合でも、 他のインスタンスが管理するユーザー情報を、別インスタンスのモデレーターが情報開示しても良いのかと言う問題も考えられます。
このような意味では脱中央集権を目指したSNSよりも、 中央集権的なSNSの方が、「誹謗中傷」などの名誉毀損・個人攻撃から身を守りやすいと言え、 「悪意あるアカウントからの防御」という文脈では、分散されたSNSでは被害者はより脆弱になると言えます。
SNSから「人間の汚濁」を効率よく流し込んでどうするのか
今回のエントリを書く切っ掛けとなった、
と言う記事は本当に良く書かれていて、本心から「よく分かってるなー」と感じたものですが、 いくらAT Protocolが技術的に優れていたとしても、 そのプロトコルが「人間の汚濁」を効率良く流し込む機構として機能すれば、どうしようも無い結果しか招きません。
私としてはActivityPubやAT Protocol、あるいはnostrなど、分散SNSを語る文脈では「理想」が語られる事も多い様に感じますが、 分散されたSNSで悪意が蔓延った場合、いったいどう対応するつもりなのかという視点が抜けている、と考えています。
中央集権的SNSでは、今のXのように「癖のある」人間が統治した場合にどうしようもない状態となりますが、 逆に「優しい終身独裁者」のようなスタイルで真っ当に運営されていれば、この手の問題は回避されます。
しかし分散的SNSでは「良心のある」インスタンス管理者は比較的多いですが、 「悪意ある管理者」が蔓延れば容赦なく個人へ牙を向いてくる世界でもあるので、 そう言った意味では分散系SNSの方が人の悪意に弱い、という側面がある事もまた事実です。
こう言った諸々の事を考えると、私個人の感覚ではそもそもこう言った問題を起こす「SNSというアイディアを実現した事自体、間違いだった」と結論付けても、 別におかしくはない、と感じています。
確かにSNSが平和的でしょうもない事を発言しつづける場であったのなら、こう言った考えは起きなかったでしょうし、 SNSを通じた多少の軋轢はあったとしても、主だった内容が人々のささやかな日常を善いものとするのであれば、 別に「SNSを作った事が間違いだった」とは私も思いません。
しかし昨今のSNSは罵詈雑言や誹謗中傷、特定の属性への増悪煽動、挙句個人攻撃に溢れ、 良心ある人間は安住の地を探し、もしくは目の前にある非道い光景へ擦り切れて病んでいく。これが現実です。
事実、私もSNSで擦り切れることを回避するために自分で連合系インスタンスを建て、それ以上は原則としてSNSのアカウントを持たない、 と言う方針で行動していますし、昨今のSNSを見ていると、とても新しく始めることを肯定できる状態ではありません。
インターネットには「コミュニティの一生」、という一種の格言がありますが、 今のSNSはコミュニティの一生の終末期を超え、もはや終末の末法しか残っていない、と感じるばかりです。